2012年10月12日金曜日
読書感想文 「人間失格」
人間失格は、太宰の死後50年が経過しており、すでに著作権が切れている。そこで、青空文庫からePubに変換して、iPadに取り込んでiBookで読んでみた。太宰の「人間失格」と、夏目の「こころ」は、何十年にもわたり累計部数を争っているらしいが、私は著作権が切れた書籍を紙で買う連中を理解できない。ネットで無料で読めるというのに、なんでそんなに紙がいいんだろうか・・・・。
さて、感想だが、はっきり言って書いてあることの半分も頭に入ってこない。文章の情景が鮮明に浮かんでこないのだ。アタマが悪いからか、純文学をほとんど読んだことがないからか、時代背景が古いからなのか、文体が古く読み慣れていないからか、それとも太宰の文体が私に合わないのか・・・。多分全部だろう。学生時代の国語の成績は散々だったので、読解力の無さは自分でも自覚している。
しかし、読み切ろうと心に決めたので、情景が鮮明に浮かばなくてもとにかく文を目で追い、読み通した。同時にWikipediaであらすじを確認しながら小説の内容理解を補完した。おかげで、なんとなくだが、人間失格の内容が理解できた。
で、心に残った点をあげておく。
まず違和感を感じた点。私は最初の「はしがき」に強い違和感を感じた。はしがきの「私」は「その男」の1枚目の写真、幼年時代の写真を「醜く笑っており、なんて嫌な子供だ」と感想を述べているが、大の大人が、嫌な思いでしかない自分の子供時代の写真ならいざしらず、他人の子供の頃の写真を見て、そんな感想を持つというのが理解できない。3枚目の写真にいたっては、「特徴も表情もなく、写真を見て目をつぶると、顔を思い出せなくなる」などと書かれているが、そんなことあり得るのだろうか。
次に共感した点。「第一の手記」ででてくる痰壺のおしっこをしたことを恥ずかしそうに作文に書いて演出した場面。そして、「第二の手記」の竹一に道化を見破られた時の葉蔵の混乱ぶりである。なぜ共感できたのだろうか。多分自分にも同じ経験をしたことが過去にあったからだろう。でも、どんな経験だったのか、具体的に思い出せない。それは私の深層心理に奥底に深く刻まれており、催眠術でもかからないと記憶の引き出しから引き出せないのかもしれない。私も他人の目をきにして、自我を殺していた不安定な時期があったのだろう。
「こころ」にせよ、「人間失格」にせよ、後年高い評価を受ける純文学は、人間の深い葛藤や悩みを描いている。それを共感できるには、もう少し人生経験が必要なのだろうか。人間失格は名著であり、読了によって教養が1つ増えた達成感はある。しかし、もし名著としての不動の評価が世間になかったら、たぶん「素晴らしい本を読んだ」とは思わなかっただろう。やはり私には大衆小説が向いている。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿